格子なき牢獄まであと1日

あと2回寝たら社会人生活スタートです
既に社員の皆さんとは研修や懇親会で何度も顔合わせをさせていただいているので人見知りの発動はなさそう、

ただ、もう学生じゃなくなってしまったんですよね~
先週、卒業式を迎えましてその際に学生証を返還してしまったので学割はもう使えません
今思うとあっという間だった、学生生活

もう戻れないんだなーと思うと寂しい気もしますが、気持ち的にはお金を稼ぎたいという方に向いているので頑張りたいと思います

適度に稼いで良きところで逝くのが、私の目標です

元 学生

先週、卒業式を迎えました
人徳のないわたしは、ぼっちでの参加になるかと思いましたが、大学生活で唯一できた友達と言っていいほどの子と卒業式に参加することが出来ました

その子には私の家庭のこと、私自身のことなど基本的には他人には話さなくてもいいようなことすら共有していたと思います

その子よりも長く時間を共にしたサークルの同輩たちには一切話したいと思わなかったのに

その子と仲良くなれたことだけで、大学生活に悔いはないですね


今となっては就活のためだったとしかいえない、サークル参加でもただの仕事仲間?同僚?のようなうわべな関係しか築けなかったし、学科に関しては英語クラスの人たちとしか仲良く出来なかった


もともと納得してない大学に入学したのもあって、やさぐれていたんでしょう
でも、出席やテストのために利用される関係を作るくらいなら今いる友達だけでいいやと思ったのも事実です
実際1度、ちゃんと喋ったことのなかった顔見知りでしかない知り合いの知り合いに貸してくれと頼まれたこともありまして、そのときは断りました、面倒だったので

私の大学生活4年間は、お一人様強化期間だったといっても過言ではないと思えてきました
それでもそれなりに楽しかったので、切り替えて社会人生活に臨みたいと思います

あ、でもそのまえに学生の内に清算すべきことを今日中にやっておこう~
(特にLINEのグループからの退会とブロック処理)

2006年3月22日→2016年3月22日

まずは、KAT-TUNデビュー10周年おめでとうございます

この10年、私はKAT-TUN一筋ってわけではなかったけど、心のどこかで拠り所にしてた
挫折感を感じた小学6年生のとき、何をしていいかわからず、笑うことすらままならなかった私に衝撃を与えてくれたデビューCM

あのとき、あのCMをテレビで見ていなければ立派なヲタクになることはなかったと思う
彼らの眩しい、圧倒的な存在感を見てこれだと思い、初めてCDを予約した

RealFaceのギラギラ感、いままで感じたことのないもので、彼らに着いていけば人生何があっても大丈夫じゃないかとすら思えた

あれから10年、私はまた卒業の時を迎えようとしている
この10年、KAT-TUNも私も色々なことがありすぎた
KAT-TUNのお陰で絶望することもあったけど、でもやっぱり彼らを見ていると楽しかった

順風満帆な10年を過ごせる人なんて誰もいないし、皆やりたいことを尊重して自らの道に進んでいるんだからこれでよかったんだと思う(辞めた、辞めさせられたのは結局事務所から言われてのことだったと思っているけど)

ただ、もし可能ならばまた6人が同じ舞台に立っているところを見られたら後悔なくヲタクをやめられるかもしれない、とすらおもう

そう思うくらいには6人が共に活動している姿が好きだったし、どのグループよりも最強で最高だと思っていた

改めて、デビュー10周年おめでとうございます

書くことが浮かばない

研修先から毎週進捗状況の報告書を提出するように言われている。
その報告書の中には問題点を書く項目がある。毎週毎週、問題点なんてあるのだろうか。
ネタ切れ状態のままなんとか報告書からヒントを得て問題点を記入しているが、今月は本当に書くことがない。
私がもっと意識高く行動していれば何かしら見つかるのだろうか。
書く癖をつけるために提出が義務付けられているのだろうが、そろそろ拒否反応がでてきているので、ストレスでしかない。


学生気分でいることをもう少しだけ許してくれないか

20110311

今更ながら、2011年3月11日から5年経ったと言うことで何かを記したいと思う。

当時は高校生で、地震が起こったときも学校にいた。交通機関は一切利用できなかったため、徒歩で帰るか、学校に泊まるかの2択だった。でも、家のことも家族のことも心配だった私は最寄り駅が近い同級生にお願いして一緒に帰ることとした。

ある意味、この出来事は地震のショック以上に印象深い出来事だった。楽しかったと言うと不謹慎だろうが、最寄り駅まで向かう約3時間、昔のことをひたすら話すことができてとても楽しかった。

というのも、その同級生とは小学生の頃からの知り合いだったのだが、中高とあまり学校で話す機会がなく(というよりも、避けられていた?)顔を合わせてもそこまで会話が弾むこともなかったからだ。そんな同級生に無茶なお願いは承知で一緒に帰宅してほしいと頼み了承してもらった。それだけでも嬉しかったが、それ以上に話が弾んだことに驚き、嬉しかったのだ。

そんなことが毎年3月11日になると思い出される

それから、私にとって2011年は好きなグループの活動の範囲を狭めたあまり芳しくない年でもある。あの年にドームツアーを出来ていたら、5年後の今どうなっていただろう。
もしかしたら充電期間はおろか2人のメンバーの脱退もなかったかもしれない。
すべてifでしかないが、5年前に出来ていれば今頃もう少し上を目指せていたような気がする

一粒万倍日

今日は一粒万倍日なので財布を新しくした
この財布は内定祝いとしてお正月に買ってもらったものだ

二十歳を過ぎても親の脛をかじりまくっている私は常日頃、物を与えてもらっているが、何かにつけてプレゼントしてもらうのはあまりなかった

覚えているのは幼稚園生のときもらった魔女の宅急便のビデオ、おじゃ魔女どれみのステッキ、くらい
誕生日プレゼントは基本的に現金でもらうことが多かったから、あまり記憶がない

プレゼントとして物をもらえるのは嬉しいと久々に実感した